2010年8月4日水曜日

本の購入は、Amazonよりもセブンネットショッピングを使ったほうが便利でお得です



※ただしセブン銀行の口座を持っていて、かつnanacoカードを利用している人に限る



つまり、本の購入に限定すれば、ごく少数いるであろうセブンイレブンのヘビーユーザーにとってはお得ですよ、というお話です。

さっそく、説明します。
以下の点においてセブンネットショッピングはAmazonより便利で、お得です。

1.時間帯指定ができる
2.セブンイレブンの店舗でも使えるポイントが付く
3.セブン銀行から手数料なしで支払える





2009年12月12日土曜日

文字で笑ってることを伝える

笑ってることを伝える必要がある
ネットでのつきあいで、あまり親しくない間柄、というか気を遣わないといけない間柄だと「こちらが笑ってること」を伝える必要が出てくる。そういった場面がある。
伝え方として、「面白い」とか「笑った」とか、そのままズバリと書くこともできるのだけど、その表現だとなかなか「こちらの笑顔」を相手は想像できないと思う。冷たい印象を持たれるかもしれない。ちょおこわい。


wと(笑)という表現
そこで、「w」と「(笑)」です。みんな使ってる。
これは、なかなか便利で、この記号からは「笑顔の相手」を想像できると思う。「w」なんかはタイプする数で笑いの度合いを表現することもできる。とても便利で、これだけ普及している。

ただ、この表現は少し使いにくさがあると思う。
この笑顔は「嘲笑的」にも使える、ということ。そのため、相手がこちらの意図を読み違えるケースがある。あとは、記号なのでレスポンスしにくい、というのがあると思う。ちょっと使いにくい。


微笑みが表現できてない
また、この表現では「微笑み」が表現できてないと思う。試しに、「w」と「(笑)」で「微笑み」を無理矢理に表現してみる。

「よろしくおねがいしますw」「ありがとうございます(笑)」

ケースによると思いますが、「イラッ」とくる。場合によっては「むかっ」とくる。


笑いの性質が違う「laugh」と「smile」
なんでだ、って思った。ちょっと考えてから、これ、英語なら「lol」だな、と思いついた。「laugh out loudly」。ああ、「laugh」か、と。
つまり、笑いの性質が違ったんじゃないかな、と思ったわけです。

「笑い」と自分の中で表現したときに、取りこぼしがあったわけです。


smileは顔文字でOKだろう
そうなると、件の「微笑み」はsmileかな、と。ならそれを文字で、記号で、どう表現するか。これも英語の場合を考えると、よく見かけるのは「XD」。顔文字。
顔文字ならいけそうだ。微笑みを表せてる。

ただ、顔文字は顔文字でなかなか、使いどころが難しかったりする。種類も多いので「顔文字選び」をする必要もある。大きく分けても、2ch系の顔文字(AA)を使うか、伝統的(?)な可愛らしい顔文字を使うか。相手に応じて使い分けなければならない。


つまり、なかなか面倒だなぁ、と。
・表現する笑いを考える、laughかsmileか
・相手によって、laughとsmileの、それぞれについて更なる使い分けるを行う
・「w」か「(笑)」か
・顔文字は2ch系(AA)か普通のものか
・どの顔文字を使うか

そんなかんじかな。
ちなみに私は「w」も「(笑)」も「顔文字」も使いません。


適当なまとめ
・爆笑、嘲笑(laugh)
w (笑) lol
・微笑み(smile)
(^_^) XD

2009年10月26日月曜日

個人的な見解

「福岡伸一×上橋菜穂子 トークライブ」 について
概要と感想を分けたかったので、個人的な見解をこちらに書きます。
トークライブ概要

「人の宇宙、世界の捉え様」に関して、お話自体は抽象的だったのですが、上橋さんが一つ象徴的な話をされていました。自分の著書について「部分から話の全体を記述されることが嫌い」という話です。

小説でも音楽でも何か芸術作品や物語を読んだとき、感想を書いてみようと「自分が全体を通して得られたイメージや感情」を記述しようとしても、まるで陳腐な文章になってしまうことがあると思います。マグネシウムが一瞬に酸化してしまうように、言葉が外気に触れた瞬間、変質してしまう。

そのことについて、お話を聴いて自分はこういう考えを持ちました。

「部分しか記述できないので、書きこぼしが必然的に生じる」「出力の仕方に限界がある」
自分の脳みそが感じたことをそのままそっくり文章にすることはできません。記述しようと試みても、それは「部分」だけです。また、表現の方法にも限界があります。言葉や文字や、あるいは画によってしか伝えることはできません。「部分」を限定的な方法でしか外に出せないのが人間です。

大まかな概要として、全体を記述しようとしても、それさえ特徴的な部分を取り出して繋ぎ合わせた「部分の集合」に過ぎません。部分の集合が「全体」ではない。
ここが直感的に理解できない、腑に落ちないのが、「全体を想像している」「全体を捉えることが可能であるという幻想を持っている」という人間の性質によるところでしょう。

この文章も例に漏れず、「部分を限定的な方法で記述」しているに過ぎません。
そして、それによってしか人間はコミュニケーションができないのです。それによってしか、研究費を出してもらうための説得もできないのです。

そういう考えを持ちました。

「福岡伸一×上橋菜穂子 トークライブ」へ行ってきました



昨日、10月25日に青山ブックセンターで行われたイベント「福岡伸一×上橋菜穂子 トークライブ」へ行ってきました。

http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200910/20091025.html

簡単に概要を書いてみようと思います。


12時30分開場。会場を見回すと女性が多かったように感じました。私が座った最前列の「はりきり組」には男性は自分だけでした(たぶん)。前方向、大体2mくらいの距離に、講演者のお二人の座る椅子が位置するような、観客席との距離がかなり近いセッティングでした。

13時00分開始。会場内での諸注意のアナウンスがあった後、お二人が登場、トークライブが開始。進行役の方(女性)はどうやら、雑誌か何かの記者さんだったよう。後で今回のお話をダイジェストで掲載するとのこと、何の雑誌かは忘れました。

お二人はお互いに相手の著書を脇に抱えて登場、終始和やかな雰囲気でトークライブは進んでいく。
ほぼ一貫してお互いが研究、実体験、から得られた「人の宇宙、世界の捉え様」に関するお話でした。あとは、エリンの裏話など。

「人の宇宙、世界の捉え様」に関して、お話自体は抽象的だったのですが、上橋さんが一つ象徴的な話をされていました。自分の著書について「部分から話の全体を記述されることが嫌い」という話です。

個人的な見解を書いてみました

お話の後、質問コーナーがあり、3時ごろに講演は終了。講演後、サイン会がありました。イベントのウェブサイトにも、サイン会に関する案内があったのでお二人の著書を持参していきました。名前も入れていただき、とてもうれしかった。

大体の概要を書いてみたかったので、こんな感じです。