2009年10月26日月曜日

個人的な見解

「福岡伸一×上橋菜穂子 トークライブ」 について
概要と感想を分けたかったので、個人的な見解をこちらに書きます。
トークライブ概要

「人の宇宙、世界の捉え様」に関して、お話自体は抽象的だったのですが、上橋さんが一つ象徴的な話をされていました。自分の著書について「部分から話の全体を記述されることが嫌い」という話です。

小説でも音楽でも何か芸術作品や物語を読んだとき、感想を書いてみようと「自分が全体を通して得られたイメージや感情」を記述しようとしても、まるで陳腐な文章になってしまうことがあると思います。マグネシウムが一瞬に酸化してしまうように、言葉が外気に触れた瞬間、変質してしまう。

そのことについて、お話を聴いて自分はこういう考えを持ちました。

「部分しか記述できないので、書きこぼしが必然的に生じる」「出力の仕方に限界がある」
自分の脳みそが感じたことをそのままそっくり文章にすることはできません。記述しようと試みても、それは「部分」だけです。また、表現の方法にも限界があります。言葉や文字や、あるいは画によってしか伝えることはできません。「部分」を限定的な方法でしか外に出せないのが人間です。

大まかな概要として、全体を記述しようとしても、それさえ特徴的な部分を取り出して繋ぎ合わせた「部分の集合」に過ぎません。部分の集合が「全体」ではない。
ここが直感的に理解できない、腑に落ちないのが、「全体を想像している」「全体を捉えることが可能であるという幻想を持っている」という人間の性質によるところでしょう。

この文章も例に漏れず、「部分を限定的な方法で記述」しているに過ぎません。
そして、それによってしか人間はコミュニケーションができないのです。それによってしか、研究費を出してもらうための説得もできないのです。

そういう考えを持ちました。

0 件のコメント: